ふるさと栄会

大屋の歴史資料

横手市立栄公民館 戸田義昭

 

栄公民館にお世話になっていましたら、大屋の歴史の資料を倉庫に見つけました。外ノ目の柴田秋太郎氏の「わが郷土の歴史」、外ノ目出身小林鉄也氏の「外ノ目村を通る羽州街道等」寺内の藤原久左衛門氏の「大屋郷土誌」(解読者は笹山晴夫氏)、堂ノ前の鈴木雄喜氏の「秋田の地名」がありました。この資料を読んでみますと大屋のいろいろなことが分かりました。たとえば7、8百年前から横手・大堤・新町・寺内・楢沢・馬鞍・明沢・真人を通って川連に続く東山道があったこと(旧羽州街道ともいいます)、戦国時代は一村一城(江戸時代から一国一城)で鬼嵐には大屋館、安田には安田館があったこと、支配していた小野寺氏が神仏の崇拝者で熊野神社を祀っていたので八幡神社等の寺社が多いことが記載されておりました。また、なぜ鬼嵐という地名なのか・堀がないのに堀の内の地名の由来等が詳しく書いてありました。これをこのままにしてはならない大屋の歴史を書いた資料が失われてしまうと思い、この資料を写真入りでCD(一太郎のデータとして保存)に仕上げ、この度やっと完成しました。そして関係機関に置いていただきました。

注:当サイトの記事、わが郷土の歴史、大屋郷土誌、外目の歴史、秋田の地名(大屋地区)、は上記CDに収録されているものです。


各歴史資料の著者プロフィール

                       

柴田秋太郎

外ノ目出身(大正6年?平成8年)
農業の傍ら、横手市郷土研究会の会員であった。昭和62年、月2回の館報に「わが郷土の歴史」を3年6ヶ月にかけて連載し82号の発行に至った。もう一度加除校正し一冊の本にまとめたいと念願していたが希望はかなく他界された。
わが郷土の歴史

藤原久左衛門

大屋寺内字堀の内の出(明治3年?昭和17年)
代々長男が久左衛門を名乗っていたので何代の久左衛門であるか分からない。「大屋郷土誌」は昭和15年に刊行されている。長野県で蚕の育て方を教えていたこともある。父久左衛門の日記が蔵に残っていた。
大屋郷土誌

笹山晴生

大屋新町の出(昭和7年生)
東京大学文学部国史学科卒、同大学名誉教授
大屋郷土誌 解読・編集

小林鉄也

明治40年和賀竹蔵(現当主和賀運吉氏)の三男として外目字前村に生れました。現在99歳で神奈川県小田原市に息子夫婦と一緒に元気で暮らしています。本人は吉野鉱山で働いた後、ホテル箱根小湧園に77歳まで現役として勤務しました。勤務する傍ら、郷土秋田の歴史について執筆を始め、資料に私見を交え物語として書き上げました。
外目の歴史

鈴木雄喜

大正3年?昭和44年
長年、横手高校の地理の教師として教鞭。県内の地名を詳しく調べ「秋田の地名」として秋田魁新報に掲載された。
秋田の地名(大屋地区)


↑タイトルの画像は?
掲示板に投稿された「議事堂周辺の大屋梅」、投稿記事【22】、の写真を元に加工されたものです。

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